自殺ブログ-消えない希死念慮との闘いの日々-

中学1年生以来25年間、どんな治療をしても消えない希死念慮を持ち続ける者が、自殺決行までを綴ったブログです。 2016年3月10日より、新ブログに移行しています。Hopeful Suicide(http://hopuful-suicide.com)へ宜しければお越し下さい。

彼女

2016年8月27日追記
カドカワさんのカクヨムにて、希死念慮小説「YUI 灯火」を掲載開始しました。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881659291

新サイトにも掲載していたものを推敲したものです。
宜しければご覧下さい。携帯小説タッチで読みやすく書いているつもりです。

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新サイト開設しました。新規投稿は全て新サイトにて行っています。

Hopeful Suicide 自殺ブログ-消えない希死念慮との闘いの日々-
http://hopeful-suicide.com

日本語にすると、【希望に満ちた自死】。

希死念慮の人生に、最後の希望を込めて名付けました。

新しい投稿は新サイトにアップしますので、よろしくお願いいたします。

彼女と僕とワンルームアパートで。(1)

最近は、ブログを一日一記事以上アップすることに決めている。

カウンセリング代が払えるようなお金はない。

ましてや、死に向かっていくサポートをしてくれる機関なんて

この世のどこにもない。


だから、

自分で書いて気持ちを整理している。


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5年前、彼女は僕の地元に荷物ひとつで引っ越して来た。
冬のある日のことだった。

部屋は僕が探した。彼女からは部屋は任されていた。
数件見て回り、彼女が快適に暮らせそうな、明るい部屋を見つけた。
今は亡き僕の父が日頃から
「部屋は爽やかなところにしろ」と言っていたのを覚えていた。

僕の住む土地は坂道が多いので、平地の物件はなかなかないのだが、
どうにか平地の爽やかで買い物・交通が便利な物件、
ワンルームロフト付き、を見つけることが出来た。

彼女を空港に迎えに行き、そのまま不動産屋に直行した。

契約を済ませ、さらに物件に直行したような記憶がある。

物件に入ってからは、近くの電気店や家具店に行き、
こたつやら電子レンジやらを購入して、一応部屋らしく整った。
僕のテレビや洗濯機をあげて、家電も一通り揃えた。

彼女からは鍵を預かり、いつでも行けるようにしてもらった。


だが、しばらくは僕も学校で忙しく、ちょくちょく寄るくらいしかできず、
同棲はしていなかった。



そんなある日、夜中に彼女から電話がかかってきた。

息も切れ切れで助けを求める電話だった。

バイクの鍵


取るものも取り敢えず、慌てて、確か250ccのドラッグスターで向かったと思う。


着いたら彼女が呼吸が苦しそうに顔を真っ赤にして、ロフトの階段下辺りに倒れていた。

辛そうだった。


しばらく僕の膝枕で寄り添わせて、声をかけ続けた。

そうこうするうちに段々と彼女は落ちついてきた。


落ちついてきて本当によかったと安堵したのと同時に、強烈な後悔の念がよぎった。


「一人にしたのが良くなかった」と後悔した。 
(当時僕は社会人大学院生で課題でめちゃくちゃ多忙だった。)

慣れない土地で一人でいる彼女には、
見えないストレスが蓄積していっているのかもしれないと思った。


「この子をひとりにしてはダメだ」と思った。


それからは、なるべく外せない時以外は彼女のアパートにいるようにした。

泊まることも格段と増えた。


その後同じようなことはなかったが、
それが僕の影響なのかどうかは分からない。

分からないがとにかくよかったと安心した。



そんな日々を続けるうちに、

段々といつも二人でいるのが当たり前になっていった。 



二人で一つ。



僕の中で、そんな感覚がどんどん増していった。




(書いてて精神力を使うので、一気に書けません。次の記事で続きは書きます)



某巨大テーマパークと同人誌即売会と彼女の思い出

2013年5月。

茨城に引っ越して来て早々、僕は体調を崩し、仕事に行けなくなった。

ふさぎ込んでた僕を彼女は某巨大テーマパークに連れて行ってくれた。
半ば無理矢理だったが、僕の身を案じてくれていたのは分かっていた。

平日のテーマパークに行って、沢山の人たちが、
それぞれに楽しそうに過ごしている姿を見た。


そこではじめて、研究職だけが人生じゃないと思った。


色んな人たちが、いろんな生き方をしていると感じた。


僕も自分らしく生きてみたいと、そう思った。


小説を書こうと思ったのはその時だった。



自分の世界を自分で自由に表現して日々を過ごせれば夢のようだと思った。
もちろん、そんなに甘いものではないけれども。 


気持ちがふっと楽になった。どこからともなく元気が出た。


小さな研究職に閉じこもっていた僕の目の前に光が差し込んだかのようだった。


彼女には本当に感謝した。もちろん今もしている。


同人誌即売会に出始めたのはそれからだ。
彼女が「いってみる?」と誘ってくれて、毎回顔を出すようになった。

はじめは彼女が独自の作品を描いて、それを出品してくれていた。

肝心の僕は、小説の書き方が分からなくて、 半分売り子状態だった。


でも、彼女とぎゅうぎゅうにスペースに座って、本を売ったり、
知り合いの方とお話しできるのは本当に楽しかった。
道中の車での移動もとても楽しかった。

彼女も執筆が進まない僕を諦めずに一緒に同人誌即売会に通い続けてくれた。

有り難かった。

ようやく僕も執筆が開始できはじめた頃、
僕と彼女は離れ離れになる運命が待っていた。
人生は常に残酷だ。


今日はその即売会が東京某所で開催されたはずの日だ。

彼女と出られる可能性も考えて、ブースは椅子二つで予約しておいた。


だけど、チケットは彼女に全て郵送であげた。 

彼女が今日、即売会に行ったかどうかは分からないが、
もし、彼女が参加したくなったとき、僕と会わずに済むように、
チケットは一枚残らずあげた。

彼女は以前の即売会の出張編集部で担当者さんと仲良くなっていた。

彼女は僕なんかのような凡人とは違って、独特な感性の持ち主で、
きっとそれを認めてくれる人が現れるとずっと思っていた。

仲良くなれたと聞いて、今がその機会だと思った。

だから、その才能を開花させて欲しいと願った。

きっとそれが、過去のたくさんの苦しみから彼女を解放する一番の手立てだと
思ったからだ。


僕の小説なんて、本当はどうでもいい。

僕は自己満足の文章を書いているだけだから。
もちろん、読んでもらって面白いと思ってもらえるように努力はしているが、
僕には大した文才も何も無いのは自分で承知している。

でも彼女は違う。きっと彼女の作品は多くの人の役にも立つし、
楽しませる力もある。

僕の夢は、いつか彼女の作品が商業出版されたとき、
それを一人で手に取り、二冊購入し、一冊は保存用、
そしてもう一冊を自室に籠もって何度も何度も読み返すことだ。

彼女が辛かったことを、楽しい作品に昇華しているのを見て、
彼女の幸せに想いを馳せる時が来るのを楽しみにしている。


これも死ぬまでに体験したいことの一つ。



僕にはあまり時間がない。

叶えばいいな。



思い出のノートパソコン

彼女が僕を慕ってくれて、僕の地元に引っ越して来た直後だった。

学校に通う彼女の学習用に運びやすい小型のノートパソコンが必要だった。

僕は引っ越ししたての彼女をアパートから車で連れ
PCデポに行き、GatewayのEC19Cという機種を選んだ。

corei3でそれなりに早くて、 持ち運びも楽で手頃な値段だった。
当時としてはかなりコスパのいいマシンだった。

彼女はアパートの近くの学校へ行っていた。きっとノートパソコンが活躍する。
その学校は彼女の悲願だった。その手伝いの気持ちで本当に一生懸命選んだ。

そんな思い出のノートパソコン。Gateway EC19C。
これがその箱だ。もういまから5年前だ。

EC19Cの箱


今は、彼女がデジタルで絵を描くため、僕が買ったDellのXPS14zと交換し、
EC19Cの方は僕が持っていた。今、彼女の方がXPS14zを持っているのだと思う。

ちなみにEC19CはSSDに換装して、メモリを8G積んで高速化してあって、
彼女の所持品でもあり、思い出のノートパソコンだったため、
僕の大のお気に入りになっていた。


そのEC19Cが年明けに壊れた。
電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。


マザーボードが死んだと確信した。
修理を依頼してもマザー交換はPCが買えるくらいの修理代になる。

だけども、僕にはかけがえのない思い出のノートパソコンだ。 

絶対に直したかった。

色々な修理屋に依頼したが、どこも修理不能で返ってくる。
Gatewayに出せば直してくれるだろうけど、10万近くかかる。
思い出のPCデポに見積もりを出してもらったが、
そういう金額だった。その財力はもうなかった。


だから、ダメ元でネットで片っ端から電話をして電話をして電話をしまくった。
どこも部品を持っておらず修理不能という回答だった。

だけど諦めなかった。
もう何件目か分からないくらい電話をかけたところで、
4万円台で直せるかもしれない、という業者にぶつかった。

奇跡だと思った。

彼女と交換したこのパソコンは、
修理が絶対に不能になるまで、つまり死ぬまで使い続けると決めていた。

彼女はまだ学校にいるはずだ。
EC19Cはまだ当初の役割を終えていない。

そして僕たちの思い出をこの子は抱えて辛うじて息づいている。

まだ死なせちゃいけないと心から思った。

息を吹き返して欲しい気持ちを胸に、急いでパソコン宅急便で仙台まで送った。

パソコンが仙台につき、電話がかかってきて、マザーボードを海外から取り寄せれば
4万円台で直ると言われた。

心底、嬉しかった。

お金はないが迷わなかった。
すぐに残りの全財産を金庫から全て掴んでコンビニまで走っていって振り込んだ。

まだ、見捨てられてないと思った。

こんな些細なことだけど、全てを無くしても 、
まだ僕なんかでも見捨てられていないこともあると、そう思った。

涙が出た。

今日、1月25日13時57分、修理が完了し無事起動を確認し、
27日午前にパソコンが到着する旨、連絡があった。
本当に嬉しかった。

明後日の朝、息を吹き返した思い出のノートパソコンと再び会える。
僕と彼女の細い細い切れかけの糸が、その子のような気がする。

いつか彼女と再会出来る日まで、僕はEC19Cと共に時を過ごす。
例え彼女と再会出来なかったとしても、その思いは変わらない。
死ぬまで使い続けるだろう。

あの日、希望を胸に、二人で選んだノートパソコンは、僕より先には絶対に死なせない。

僕たちの思い出が、僕たち二人が死ぬまで絶対に死なないように。

そして例え僕が自ら死んだとしても、思い出のノートパソコンが、
僕たち二人のたくさんの楽しかった思い出達を抱えて、この世界に存在してくれる。

そんな日々がこれからも、まだ辛うじて続く。


27日、思い出のノートパソコンが直って来たら、またブログにアップします。

今日は少しだけ前向きな話題でごめんなさい。



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