自殺ブログ-消えない希死念慮との闘いの日々-

中学1年生以来25年間、どんな治療をしても消えない希死念慮を持ち続ける者が、自殺決行までを綴ったブログです。 2016年3月10日より、新ブログに移行しています。Hopeful Suicide(http://hopuful-suicide.com)へ宜しければお越し下さい。

ポジティヴ思考

2016年8月27日追記
カドカワさんのカクヨムにて、希死念慮小説「YUI 灯火」を掲載開始しました。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881659291

新サイトにも掲載していたものを推敲したものです。
宜しければご覧下さい。携帯小説タッチで読みやすく書いているつもりです。

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新サイト開設しました。新規投稿は全て新サイトにて行っています。

Hopeful Suicide 自殺ブログ-消えない希死念慮との闘いの日々-
http://hopeful-suicide.com

日本語にすると、【希望に満ちた自死】。

希死念慮の人生に、最後の希望を込めて名付けました。

新しい投稿は新サイトにアップしますので、よろしくお願いいたします。

人がそうでなくとも私はこうありたい

弱い者ほど相手を許すことができない。
許すということは、強さの証だ。 (マハトマ・ガンジー&野原ひろし)





「侏儒の言葉」より

荻生徂徠は煎り豆を噛んで古人を罵るのを快としている。
わたしは彼の煎り豆を噛んだのは倹約の為と信じていたものの、
彼の古人を罵ったのは何の為か一向にわからなかった。
しかし今日考えて見れば、
それは今人を罵るよりも確かに当たり障りのなかった為である (芥川龍之介)

諦めない

夜と朝がやはり希死念慮が強い。


朝目覚めた瞬間が最悪で、


コンサータを急いで飲んで、


だいたい持つのが3時くらいまで。






それを過ぎると、


やっぱり


希死念慮の嵐。





自分は他人を幸せになんかできない人間だという思いが、


全ての他人を遠ざける要因になっている。


そんな僕はこの世から直ちに消えるべきだと思っている。


それがもしかしたら元カノのためにもなるのかもしれないし、


元カノからこの世から消えてくれと言われれば、きっとそうする。




そうやって他人を遠ざければ遠ざけるほど、


孤独になっていって、


希死念慮も膨らみ、


自分の幸せも遠のく。




そもそも人を傷つけた人間なのだから、


幸せになる資格はないのであって、


それはもう諦めたから、


どうでもいいんだけど。




だけど心のどこかに、


諦めきれない気持ちがあるのか、


どうしても


心が辛くなってしまう。




僕は解脱しているわけでもなんでもないので、


全てから解き放たれた心の持ちようなんて


できない。



自ら命を絶って


全て終わらせれば、


希死念慮とも辛い過去とも


お別れできるけど、


方法が難しい。 


(首つりが鉄板ですが、法医学教室で死刑囚のデスマスクを見てみればいい。顔は鬱血して膨らみ、中には苦しそうな表情をしているものもいくらかはある。)


そうとなれば、


やはり僕がこれまで生きてこれたモチベーションである


人の幸せのために微力を尽くしていくしかないわけで、


その道を探している。 



長い旅になる。



自殺せずに寿命まで生きたとしても、


達成できるかは分からない。




恐らくは、


母が死に、


家を売り、


貯金が底を尽き、


生活保護者になり、


人知れず孤独死していくのが、


今一番濃厚なストーリーだけど、



そんな人生でも、


人を笑わせたり、


楽しい気分になってもらったり、


心の傷のホンの僅かでも手当になれたりすることは、


きっと可能だから、


僕の幸せは諦めたとしても、


僕の人生の意義それ自体は、


捨てられた身ではあっても、




まだ






諦めません。



大きな目標

前記事で書いたように、


感謝の気持ちが一度芽生えると、


どことなく心も落ちついてきて。


それがまた感謝の気持ちに繋がる。


今は伝えることのできない彼女へ、


感謝の気持ちをいつか伝えられたらいいな。



ところで!


生命科学の勉強、まだ進んでいません!

どうしても希死念慮が頭をよぎると集中力の邪魔をして

ループに入るともう本なんか読めなくなってしまいます。


回避できるように頑張ってみます。




ところで、


僕には生涯を通した大きな目標があって、

それは、


「他人の希死念慮に共感できるくらい、大きな共感力を身に付けること」



それから、


「人の心の痛みが心底分かって、救いの手を実際に差し伸べられる人間になること」



この二つです。




彼女の心の痛みを、分かってあげられなかったから。



救いの手を差し伸べることもできない今の状況だから。



だから、僕は、





彼女が身を挺して教えてくれた、人の心の痛みを


分かって


手の差し伸べて


救える人間になりたい。




たとえ僕が希死念慮を持ち続けているとしても。


いやむしろ、


希死念慮を持ち続けているからこそ、



そういう自分になれると信じています。




もう無理に消そうなんて思わないよ。


希死念慮のこと。



希死念慮を敵視するから


あちらも僕に襲いかかるわけで


希死念慮とも


きっと仲良くなれると


思っています。 




それが出来たら。


僕の二つの大きな目標は、


少しは達成できるのかな。




その時はじめて、


希死念慮に心から御礼を言える時が来るような


そんな気がする。



彼女への感謝

日々希死念慮にとらわれながらも、

色々と考えている。


彼女には迷惑になるだろうから

こちらから連絡を取らない旨、

本意ではないけど、

彼女が僕から離れてもっと楽になって欲しかったから

敢えて泣く泣く冷淡に通達した。


それから、3週間程経っただろうか。



2015年11月18日、就職面接が上手くいかず、彼女を幸せに出来ない自分に鬱になり、

夜に薬も切れパニックを起こして暴れた僕は某巨大国家権力機関に通報され、

実家のある九州への引っ越しを彼女から求められた(法的にではなく自主的に)。

彼女の要求は彼女を守るために至極当然だし、別に恨むようなことでもないし、

異議を差し挟む余地はない。



だけど、彼女との思い出に詰まったマンションを引き払うのは、

心が裂ける思いだった。


しかし、彼女を、辛いだろうと思われる場所から

一日も早く出すには、

僕が早く引っ越すしかなく、泣きながら引越しをした。


もうこのマンションから動かない気がするね、と

よく話していたものだった。

それほど、心の療養と将来を展望するのに相応しい場所だった。


彼女を失った上、

その安住の場所を手放すのは、

全てを失うことだと分かっていた。


だから希望も何も、

無くなっていた。


その当時は、彼女の愛に支えられて、

希死念慮を持ちながらも辛うじて生きていた。


その支えを突然に失った。


唯一の支えを失った僕は

真っ逆さまに転落して、

生きる希望も何もかも同時に失った。



あまりにも彼女の支えが大きかったものだから、


すぐに離れ離れになることを認められず、彼女に執着した。



それから2ヶ月半の時が経ち、


彼女からの連絡もないため、


僕の存在は迷惑にしかなっていないのならばと判断し、


身を切って全て諦める思いで、


そして彼女が少しでも楽になるならばと、


こちらからの連絡をしないと


宣言した。



彼女がその連絡を受け取ったのかどうかも分からないし、


受け取ったのであれば、どう感じたかは分からないが、


迷惑な僕が消えることへの安堵感を感じてくれていればと願っている。






連絡を取らないでいると、


段々と冷静になってくるもので、


今は、離れてくれてありがとう、という気持ちすら薄らとおぼえてきた。



心から愛する人を失う辛さを教えてくれてありがとう、と。


愛する人から傷つけられたらどんな思いになるか、教えてくれてありがとう、と。


お陰でこれから人にはもっともっと優しくなれる気がする。


愛する人を大事に大事にしていける気がする。



そして、僕の希死念慮が人を傷つける程酷いものであることに


気付かせてくれてありがとう、と。 


このブログと病院以外では、もう誰にも希死念慮は見せないようにしようと


自分の中だけで始末をつけていこうと


ぐだぐだいうならなるべく迷惑がかからない形で決行すればいいと、


そう思った。



彼女からの人生の教訓の


最後のプレゼントだと、


そう思った。



だから彼女には、心から


ありがとうと


伝えたい。



そして、世の中の人間は、


僕みたいな酷いのばかりではないのだから、


心も器量も素敵な彼女には、


相応しい素敵な人が現れるから


僕のような酷い人間はごく一部の例外だと思って、


人を信じて安心して幸せに生きて欲しい、と伝えたい。




彼女にそれを伝えられないのは悲しいけど、

もしこのブログを定期的に読んでいる方がおられるなら、

彼女の代わりに

僕の勝手なこの思い込みが、

僕のほんのわずかの成長のようなものとして見てもらえれば嬉しいです。 



このブログの本来の目的は失ってはいません。

ですが、希死念慮を持つ者がこうして人生に希望や絶望を

毎日毎時間毎分、入れ替わり立ち替わり持ちながら

生きていっていることを知って頂けたら、

そして希死念慮という症状が如何に根深い問題かを知って頂けたら、


それがこのブログの本来の目的だし、


望外です。



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