日々希死念慮にとらわれながらも、

色々と考えている。


彼女には迷惑になるだろうから

こちらから連絡を取らない旨、

本意ではないけど、

彼女が僕から離れてもっと楽になって欲しかったから

敢えて泣く泣く冷淡に通達した。


それから、3週間程経っただろうか。



2015年11月18日、就職面接が上手くいかず、彼女を幸せに出来ない自分に鬱になり、

夜に薬も切れパニックを起こして暴れた僕は某巨大国家権力機関に通報され、

実家のある九州への引っ越しを彼女から求められた(法的にではなく自主的に)。

彼女の要求は彼女を守るために至極当然だし、別に恨むようなことでもないし、

異議を差し挟む余地はない。



だけど、彼女との思い出に詰まったマンションを引き払うのは、

心が裂ける思いだった。


しかし、彼女を、辛いだろうと思われる場所から

一日も早く出すには、

僕が早く引っ越すしかなく、泣きながら引越しをした。


もうこのマンションから動かない気がするね、と

よく話していたものだった。

それほど、心の療養と将来を展望するのに相応しい場所だった。


彼女を失った上、

その安住の場所を手放すのは、

全てを失うことだと分かっていた。


だから希望も何も、

無くなっていた。


その当時は、彼女の愛に支えられて、

希死念慮を持ちながらも辛うじて生きていた。


その支えを突然に失った。


唯一の支えを失った僕は

真っ逆さまに転落して、

生きる希望も何もかも同時に失った。



あまりにも彼女の支えが大きかったものだから、


すぐに離れ離れになることを認められず、彼女に執着した。



それから2ヶ月半の時が経ち、


彼女からの連絡もないため、


僕の存在は迷惑にしかなっていないのならばと判断し、


身を切って全て諦める思いで、


そして彼女が少しでも楽になるならばと、


こちらからの連絡をしないと


宣言した。



彼女がその連絡を受け取ったのかどうかも分からないし、


受け取ったのであれば、どう感じたかは分からないが、


迷惑な僕が消えることへの安堵感を感じてくれていればと願っている。






連絡を取らないでいると、


段々と冷静になってくるもので、


今は、離れてくれてありがとう、という気持ちすら薄らとおぼえてきた。



心から愛する人を失う辛さを教えてくれてありがとう、と。


愛する人から傷つけられたらどんな思いになるか、教えてくれてありがとう、と。


お陰でこれから人にはもっともっと優しくなれる気がする。


愛する人を大事に大事にしていける気がする。



そして、僕の希死念慮が人を傷つける程酷いものであることに


気付かせてくれてありがとう、と。 


このブログと病院以外では、もう誰にも希死念慮は見せないようにしようと


自分の中だけで始末をつけていこうと


ぐだぐだいうならなるべく迷惑がかからない形で決行すればいいと、


そう思った。



彼女からの人生の教訓の


最後のプレゼントだと、


そう思った。



だから彼女には、心から


ありがとうと


伝えたい。



そして、世の中の人間は、


僕みたいな酷いのばかりではないのだから、


心も器量も素敵な彼女には、


相応しい素敵な人が現れるから


僕のような酷い人間はごく一部の例外だと思って、


人を信じて安心して幸せに生きて欲しい、と伝えたい。




彼女にそれを伝えられないのは悲しいけど、

もしこのブログを定期的に読んでいる方がおられるなら、

彼女の代わりに

僕の勝手なこの思い込みが、

僕のほんのわずかの成長のようなものとして見てもらえれば嬉しいです。 



このブログの本来の目的は失ってはいません。

ですが、希死念慮を持つ者がこうして人生に希望や絶望を

毎日毎時間毎分、入れ替わり立ち替わり持ちながら

生きていっていることを知って頂けたら、

そして希死念慮という症状が如何に根深い問題かを知って頂けたら、


それがこのブログの本来の目的だし、


望外です。