誰かの役に立ってから死にたい。


そう考えて、ふと、思い出した。


あれは大学4年の冬の事だったと思う。

専攻だった臨床心理学に飽き飽きしていた僕は、

別の途へ舵を切ろうとしていた。

選択肢は2つ。


1つは医学部の大学院に入り、研究者として生きていくこと。

2つめは学士編入で医学部に入り直して、臨床医になるということ。

結局大学4年では、学士編入に落ちたので、研究者の途を取ることになった。


だが、その研究職も肌に合わず、彼女も職も何もかも全てを失い

今実家の自室に引き籠もった生活をしている。 


今日、ネットサーフィンをしていて、ふと思い当たった。


どうせ死ぬつもりなら、

どうせ自室に籠もることしかできないなら、

医学部の学士編入を受けてみようと。

引きこもりと受験生なら、受験生の方がまだマシだろう。


書類審査と推薦状がいるが、アテはある。

科目は生命科学と英語なので勉強すれば数年受ければ何とかなるだろう。

最初の受験は今年の冬だ。


自分で自分のことを助けられない人間が、

ひとの病気を助けられるとは思えないが、

医学では助けられない患者さんの気持ちを分かるための努力はできる自信はある。


どうせ自分の幸せは捨てたのだ。

ならば自分は捨てて、徹底的に誰かのために何かをやってみたい。

そう思った。


お金はないが、幸い学部時代には奨学金を借りていないし、

改めて学部生として借りられるだろう。


キャンパスも徒歩圏内なので、交通費もかからない。

もちろん実家に住めば、家賃もタダ。

奨学金を本代に回すことができる。

成績が優秀なら学費も全額免除か半額免除にはできる自信はある。


差し当たって手持ちの本から消化していくことにした。

エッセンシャル細胞生物学。

読みやすいのでここから始めてみることにした。

エッセンシャル細胞生物学
 
希死念慮はもちろんずっと変わらない。

だけど、希死念慮を持ち続けているからこそ、人の心の痛みには敏感になれる。

自死するまでは、消えない希死念慮と付き合っていくことになるのは間違いないわけで、

それならば、生きた証に誰かのためにこの希死念慮を使いたい。

そう思った。


別にポジティヴ思考になったわけではない。

そう思い込まないと正気を保てないだけだ。


でも、もし僕の希死念慮が誰かの役に立つ日が来たら、

本の一冊でも書いて、

それがもし売れたら、

これまでお世話になった人たち(彼女や家族)に印税を全て分けたいと思う。


夢があるな。



僕らしくもない。